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日々約400字を羅列する脳内すけすけなログ

2024|02|11-20

 

からふる

貴社とか御社とかそんなんどっちでもいいわ。なーにが貴社だよ、汽車の方が好きだわ。といった感じにやさぐれてるけれど、そこまでネガティブでないのはかわいいタオルが私の世界にいてくれるおかげ。

私はライブに参加したら必ずタオルは買うようにしていて。数日前に購入したものはカラフルかつ高彩度のものでとっても好み。干していると狭い部屋だから常に視界に入ってきて幸せな気持ちにしてくれる。それはライブを思い出すからだけでなく、私が色に影響を受けやすい人間だから。

20歳を超えたあたりで一周回ってまたビビッドな色に惹かれるようになり、インテリアやファッションにも如実に現れるようになった。特に黄色や赤やオレンジといった暖色は、分かりやすく元気をもらえるし内に秘めているなにかを焚きつけてくれる気がして好き。だから今の視覚から得られる色のパワーで十分だと思っていたけれど、タオル一枚でこんなに変わるってことは足りてなかったんだ。なら、もっとカラフルにしよう。

カラフル、っていいよね。だってカラーがフルだよ。しかもひらがなにしてもかわいい、からふる。貴社の配属〜でなく、カラフルな人生希望で。

2024-02-11 (Sun.) 17:17

 

屈託のない笑顔

笑顔がかわいい人がタイプ、と聞こえた瞬間に心の中でけっっっと叫んでしまう人間代表だが、最近理解できるようになってきた。いや、本当はとっくに気づいていたけれど気づかないふりをしていたのかも。

笑顔の造形がかわいい、というより屈託のない笑顔を人前で浮かべられる人間性や生き様が好き、ということなんだろう。もちろん前者の人もいるだろうが私は後者を支持したい。

私の顔面はデフォルトである真顔が既におぞましいのに笑顔、しかも歯や歯茎までお披露目するような全力の笑顔なんてなんの呪物だよ、と躊躇してしまい、人前で大きく口を開けて笑うなんて絶対にできない。だから屈託のない笑顔を見ると心底羨ましく思うし、包み隠さずまっすぐに生きてきた人なんだろうと勝手に想像してしまう。失礼な話だ。そしてそういう人がタイプという人間には、不自然な笑顔未満のニヤケを浮かべる私はひどく気持ち悪く映っているのだろうと思い、特大けっっっとなるのだ。本当に失礼の権化のような人間である。

いつまで人の純粋さを妬んで僻んで生きていくつもりなんだろう。笑顔のまぶしい人のまぶしさで私を焼き切ってほしい。

2024-02-12 (Mon.) 21:20

 

一安心

ここ数日、やけに嫌味だったりネガティブなことばかり綴っていた気がするけど、今日は真逆だ。やったね。言葉にすると「あー!よかったー!やったぜー!」といった感じ。語彙力のかけらもなくて私らしい。とにかくよかったみたいよ。

なにがどうよかったのか詳細は書けないけれど、とにかく肩の荷が下りてほっとしている。一安心一安心。そんな安堵と同時に頑張らねば、とも思っている。きっとここは人生のターニングポイントなるものだろうから己を鼓舞して私なりに精進してゆくよ。

ありがとう、日本。ありがとう、世界。ありがとう、宇宙。壮大に感謝したくなるくらいにはテンあげー!って気持ちだけれど私が調子づくとだいたいよくないことが起こるからほどほどにしておきたい。この世のためにも。そろそろ黒歴史の更新もとめたいし。

と、さも有頂天って雰囲気だけど別にそういうわけでもなく、なんだかちょっとへんでむずがゆい一日だったけれど夕方の空気がとてもおいしかったからすべてよしとする。

2024-02-13 (Tue.) 16:45

 

労働人生

私の人生の最大のテーマいかに労働せずに生きるか、が失敗に終わりそう。なーに舐めたこと言ってんだって怒られそうだけれど本気の話。

【好き】を仕事にできたらいちばんだけれど、とても困難なことだと切に感じてからは、それなりに自分に合った仕事をしながらできるだけ楽に死なない程度の暮らしを維持するか、に焦点を当てて生きている。それを誰かに話したり大きな声で主張したりすることはないけれど、似たような考えの人が割といることをうっすら知っている。それは私をうっすら安心させる。できるなら労働なんて苦痛なことしたくないし、苦痛じゃない労働と巡り合えるなんて宝くじ当たるくらいの確率だろう。特に私のようにたいした能力もなく、そのことに焦りも感じずのうのうと生きてきた人間には。

長々と言い訳したところで、なぜ失敗に終わりそうかというと週5で働くことになってしまったのだ。いや、世の中には週5もしくはそれ以上働いている人がたくさんいることは分かっている。分かったうえで上記のような心持ちで生きているから絶対に週5なんて働いてやらないぞ、今のペースで働き続けるぞ、と決意を固めていたはずなのに、深く考えず「はい!大丈夫です!」を連呼してしまったというわけ。脳みそが欠けているのか、私は。これは神から怠惰な己への鼓舞だと捉えて頑張ってみようかと思う。

2024-02-14 (Wed.) 16:18

 

感情に品行方正など

自分の感情すら100%把握できたことだってないのに他人の感情なんて分かるわけがない。この人私のこと嫌いそーと思っていた相手に実は好意を持たれていた、なんてよくある話だ。その逆も然りだが。

もちろん相手の気持ちを考えたり機敏を読むというのもコミュニケーションの一環だが、それらに囚われすぎると神経が摩耗する。彼は私ではない、私も彼ではない。互いに完全に理解することなどできない存在だと割り切ったうえで関わっていけたら。と表面上は考えるが、人間はどこか期待してしまうさみしい生き物だ。この人なら私のことを分かってくれる、もしくは彼のことなら分かってる、と自分本位に思い込んでしまうほどの相手と出会うたびに、絶望的に心酔し、いずれも一直線で破滅してゆく。感情に品行方正など求めてくれるな、と。私はそんな心模様も生き様も愛おしく思う。

なんだか誰か宛みたいになっちゃった。誰かに向けた文章ではないけれど誰かに届いたらいいな、って強欲が過ぎるね。

2024-02-15 (Thu.) 14:07

 

春の陽気

春の陽気の訪れを感じた午の刻。春の陽気って、春という人格が陽気みたいでかわいい。最初に思いついた人の感性がとても好き。春が好きなのが伝わってくる。私も秋に並ぶくらい好きだけれど、春も秋もどんどん短くなっていてかなしい。暦ではなく体感としての彼らが。

みんな気温の話が好きだから服装間違えちゃった、動いてたら暑くなっちゃった、とまるで私が天気を操る神かのように随時報告してくれるからまるごと愛してしまった。

帰り道、この波に乗ったるで!と意気込んで久しぶりにアイスを買い早速食べてみた。もし事件に巻き込まれて事情聴取を受けたら「アイス食べながら家に向かってました」「いや、いい歳なんだからどっちかにしようよ……」などといったやりとりをするのだろうか、と考えながら。ふと目線をうつすと、真っ赤な郵便ポストに木の葉のシルエットがぼんやりと乗っかっていて、それがどんな絶景よりも美しく見えて泣きそうになってしまった。こういった微かなきらめきのおかげでこの世にとどまれている気がする。

2024-02-16 (Fri.) 14:38

 

不自然な表情

顔のつくりのせいか普段表情が乏しいせいか分からないけれど、マスクをつけた状態で表情筋を酷使するとマスクと肌が擦れて肌荒れしまくるのだ。インナーマスクをつけたり敏感肌向けのマスクを試したりと試行錯誤してきたが、いちばんの解決策はできるだけ表情筋を使わないことだ。

そんなこといっても社会生活を営むうえで人と関わることは避けられない。なんか怒ってる?と思わせてしまわぬよう、目だけで笑顔のようなものを浮かべたり腹話術のようにできる限り口元を動かさず喋るといった謎のスキルを身につけてしまった。履歴書に書いたら99%落ちるだろう。このままでは脱マスクな世の中になったとき、不自然な表情な人と覚えられてしまう。まずい。自宅でパソコンを触っている今ふと微笑んでみたら微笑みとはほど遠いにやけづらが画面に映り、とりあえず見なかったことにした。

コンプレックスをゼラチンで固めたような人間だから幾度となくマスクに救われてきたが、マスクによる不利益からも逃れられない。マスクに振り回されている。

2024-02-17 (Sat.) 21:10

 

創作って

最近あんまり短歌が投稿できていない。別に自分に課しているわけではないし、むしろ短歌をきらいになりたくないから無理につくることはしないと言い訳がましく決めているけれど、さすがに気まぐれ過ぎてよくないのかなって。

当たり前のことだけどつくらないと自分の許容ラインに届くものも生まれないし、つくらないと評価してもらうこともできないし、つくらないとなにも始まらなない。創作を愛する端くれとして嫌というほど感じてきたこと。仕事にしたい、収益を得たい、と目指すのなら絶対に今の私ではだめ。でも今の私は根底にある好きと心の安寧のために趣味として創作をしているわけで。なのに張り詰めたメンタルで取り組んでいた時期の私がいなくなってくれない。はやく消えてほしい。

楽しく適度に打ち込める趣味がある、ってとても恵まれてること。年齢を重ねるにつれてそう強く思うようになった。どうやって負担にならない程度に心から楽しんでいたのか思い出せない。

2024-02-18 (Sun.) 17:51

 

私×3のひと

今の環境に私の三倍以上生きているかつとてもよくしてくれているひとがいる。三倍以上生きている、なんて珍しいわけでもなんでもないけれど、なんで?ってくらいよくしてくれている。なにかと気にかけて声を掛けてくれたり、よく飴ちゃんやちいさなゼリーをくれたり。その心配りに何度も救われてきたし、きっと今までもこうやってこのひとはたくさんの人間を救ってきたんだろうと思う。

そのひとと天気がどうとか他愛もない話をしていたとき、私が年齢を重ねても○○さんのようになれる気がしない、といった内容をふと呟いたらそんなことない、と笑い飛ばしくれて。ああ、このひとには勝てないなって漠然と思った。別に勝負なんてしてないし勝ちの基準も分かってないけれど。体力のことだと捉えて返されたっぽかったけどそれでも勝てないことには変わりない。

年配の方と関わる機会が増えてから、人間の生き様は佇まいや顔に怖いくらい出るのだと改めて感じることが多い。顔って造形じゃなく表情のつくりかたや顔つきのことで。

2024-02-19 (Mon.) 14:55

 

朝の活力

やっとあたたかくなってきて今年はじめて太陽のにおいを感じた。紫外線も日焼けも心から苦手だけれど太陽のにおいは非常にラブである。厳密には太陽のにおいではなく、許容量を超える紫外線を浴びたなんらかの物質が放っているなんらかのにおいな気がする。太陽のにおいなんて確認できたときには文字通り燃え尽きているだろう。それはそれで気になるけれど。

そんなことを考えていたらいつの間にか到着し、開錠のため警備室に入る。私が早番のとき警備の年配の男性がいつも個包装のちいさなお菓子をくれる。「朝の活力」と一言添えて。いつもできる限りの笑顔でありがとうございます、と応えることしかできず申し訳なさが残る。とても嬉しく感じていて、その心遣いに救われていることを伝えたいのに。どうしたらいいかな。

どうでもいいけど朝の活力って略したら朝活になるじゃんね。意味変わってくるけれど、それも含めて面白い。確かに朝活は活力になりそうだし。実はあの警備さんはそんな㊙︎データを私に伝えるのが目的で、お菓子はその手段でしかないのかもしれない。

2024-02-20 (Tue.) 13:31

2024|02|01-10

 

華とかなんとか

だれかのつぶやきを見て思い出したことがある。数年前、学校関係の大人の男性にとある街のイベントのスタッフに誘われた。浴衣を着て訪れた方と関わるというものらしい。詳細は書けないが当時の自分にとって得られるものがあると判断し、二つ返事で引き受けた。

しかし、その際に「華になるから〜」と言われた。華ってなに?もし浴衣=華ならあなたが着たって華になるのでは?なぜ女性にだけ声を掛けるの?女の体で生まれてきたばかりに向けられた言葉なのか?と、もやもやした。なによりその場でその感情を言語化できず、適当に笑って受け流してしまった自分に未だにもやもやしている。

もし子供の頃に華とかなんとか言われていたら喜んでいたかもしれない。しかし思春期を経て、華という言葉には意味以上のものが乗っかっていることを知ってからは手放しに喜べるものではなくなっていた。私という文脈を無視し華要員として扱われることに、むしろ喜びとは正反対の感情を抱くようになっていた。

似たような経験談を目にすると私だけじゃないという一過性の安堵のようなものを覚えるが、それで終わらせたらなにも変わらないことは分かっている。自分にできることを今一度考えよう。

結局そのイベントには参加しなかった。

2024-02-01 (Thu.) 19:30

 

寿命を更新する

私はあと何年生きるんだろう。いくつまで生きるつもりなんだろう。答えのない問いばかり考えてしまう日々をこなしながら生きている。

10代の頃はなぜか20歳になると死ぬものだと思っていた。死ぬというより20歳の自分が1ミリも想像できない→人間という姿では存在していない、が正しいのかも。そんな思考を脳内で飼い慣らし20歳を迎えた日、なにひとつ嬉しくなかった。生まれた日がなんだ。こんな憂鬱なことがあるか。

20歳を超えてからの誕生日は来年こそ、再来年こそ、とまるで自分に決定権があるかのように一年ずつ寿命を伸ばしている。

希死念慮とか厭世とはちょっとちがう感覚。サザエさんのキャラクターがまる子ちゃんの世界に迷い込んでしまったかのような。意味分かんないけど許されないことをしているような感覚。

きっと30代になっても40歳になったら死ぬんだ、と思っていそう。いつ死ぬかなんて誰にも分からないのに。でも、そうやって【いつまで】を設定しないと生きていられないのかもしれない。

2024-02-02 (Fri.) 17:12

 

行事に託けて

諸事情で二週間ほどスマホから更新していたが言葉を綴るにはパソコンがしっくりくる。形から入るタイプの私には、キーボードをぽちぽちするのが性に合っているようだ。原稿用紙に直筆といった文豪スタイルに憧れたりもするが、きっと私だったら落書きしはじめたり歌詞を写しはじめたりしてあれ?なにしようとしたんだっけ?状態になる未来がみえる。だからこのパソコンが共に生きてくれるまで酷使することになりそう。よろしく頼んだ。

今日は節分らしい。行事ごとを大切にして暮らすような人間ではないが、食事となれば別の話だ。豆はまかないし鬼も出現しないけど内は内、と言い聞かせて(言い訳して)夜ごはんに恵方巻きを食べた。どうでもいい自論だが、ごはんものは絶対に糖質量など見てはいけない。どうせ食べるのなら罪悪感など感じずに食べたい。おいしいものはおいしい、それ以外の感情などいらない気分だ。

次の行事はなんだろうか。行事というより行事に託けて食べるであろう食事はなんだろうか。

2024-02-03 (Sat.) 23:07

 

眉毛のすゝめ

生まれたまんまの眉だろうと物理的に迷惑をかけることなどないし自分以外の意思で嫌々整えるようなことなどあってはならないと思っているけれど、外見がモチベーションに繋がる人や悩みがあるけどやり方が分からない人には眉毛サロンを勧めたい。

眉毛サロンには、骨格や黄金比に沿ってその人に合った眉毛に仕立ててくれる眉の救世主がいる。もちろん自分の要望も汲んでくれるし完全にお任せもできる。方法はワックス・糸・針など様々だが一時的に美しい眉になりたいのならワックス、一本一本半永久的に生えないようにして自己処理のほぼ必要のない眉を目指すのなら針をオススメする。(超個人的意見)私は糸たまにワックス、といった感じで通い着実にマシになってきた。

またサロン選びも重要である。私は某有名サロンや糸脱毛専門店などいくつか足を運んだ末決めた。施術をしてくれる方との相性もあるからガチャを引き続ける気持ちで。

眉にいくらかけられるか、というのは完全に価値観の違いだから気になる人は調べてみてほしいが、施術には痛みがつきものだ。私はわざと寝不足で行き、睡魔と痛覚を戦わせている。気づいたら終わってた状態を期待して。

2024-02-04 (Sun.) 19:19

 

現場の席事情

もうすぐライブがあるから席を確認したらブリージア席なるものだった。なにそれ。アリーナ、スタンド、GC(グランドサークル)席、2階最後列一番端など割とバリエーションに富んだ座席経験を積んできたのだけど、ここにきて初耳がくるとは。最前といった神席なるものは当たったことがないのが私らしい。

ブリージア席とはなんなのか。ブリージアとはギリシア語で階段状の席のことらしく、一般的にアリーナとスタンドの間に段差を設けて作られる席だそう。なぜギリシア語なのか。階段席とかじゃだめ?席の名前=横文字って決まってるのかな?

階段状だから見やすそうだし、照明やステージ構成も含め楽しめそうで魅力的。極論、最後列だろうと楽しめるタイプだからどんな席でも構わないけれど、ライブや舞台、コンサートは、会場の空気感やその会場特有の座席も楽しみに足を運んでいる節があるのだ。

ああ、心から楽しみ。グッズも良さげで大人買いしちゃいそう。散財するときだけ大人ぶるのやめたい。

2024-02-05 (Mon.) 15:30

 

美の琴線

私はよく年配の方にべっぴんだと言われる。読んでいるあなたがドン引きする姿が目に浮かぶけど構わず書き進めるね。

べっぴんをそのままの意、美人を表す俗語と捉えるとして。問題は自分がべっぴんとはかけ離れた存在であるということ。造形という点で見るならばかなり醜い容貌をしている。骨から神様の大失敗作、といった感じに。

なぜ初対面の若造に分かりきったお世辞を言うのか、年配の方の中で私を図に乗らせようなどという謎の計画が遂行されているのか、と疑心暗鬼になっていた。

年配受けの良い顔(なにそれ)なのか、あるひとつの要素を指しているのかなど考えてみた末、細かな造形の美醜より全体の雰囲気や肌のトーンを見ているのではという結論に至った。特に肌が白い=べっぴんという法則が若者以上に成り立っている気がする。

肌が白いなんて別に良いも悪いもなくただ私を構成するひとつの要素でしかないのだけど誰かの美の琴線に触れることもあるのか。美しさの基準ほど不安定で揺らぎやすいものはないから無駄に期待して傷つきたくないけれど、一部の人間の目には自分が思っているほど醜く映っていないのかもしれないと思うとすこしだけ息がしやすい。ありがとう、図に乗らせ隊。

2024-02-06 (Tue.) 17:48

 

偽物の北斗七星

ライブやコンサートといったものに足を運ぶたび表現者は勿論、関わる方々含めまるごと好きになってしまう。どんどん好きになってしまう。

よく舞台に立つ人間が観客に向けて(表現方法は様々だが)ありがとう、幸せでありますように、といった内容を投げかける姿を見かけるがそんなのこっちのセリフだよ!といつも心の中で叫んでしまう。

今日行ったライブである曲のとき、照明の力で会場上部が星空のようになっていて演奏も相まって幻想的で見惚れてしまった。そしてふと目線を上げたら天井にさそり座が存在していて、それが本当に美しくて、本物のさそり座を見たときの何倍も興奮してしまった。言ってしまえば偽物なのに。

たくさんの人が存在する会場で一人だけ気づいたなんてことは絶対にないだろうけど私は、私だけは照明さんの粋な遊び心に気づいてましたよ、と厄介なマウントを取ってしまいそうになるほど心に残っている。

2024-02-07 (Wed.) 27:30

 

一堂に会する場所

今日も昨日に引き続き全力で楽しんできた。典型的な埋もれ席だったけれどそんなこと忘れちゃうくらい全力で楽しんできた。本当に最高だった。ラストでいちばん好きな曲のイントロが聴こえたときは思わず泣きそうになった。心からありがとうの気持ちでいっぱい。

今日のライブは特に個性的な人たちに囲まれていた。冬なのに半袖1枚、しかもタンクトップ状態にしてお手本のような身のこなしで全力で楽しむ方、うんうん頷く独自のスタイルでリズムに乗り口パクで全力で歌う方、椅子に立って見様見真似でノってみる子どもの方など多種多様なお客さんが視界に入ってきた。日常で関わることのなさそうな人たちがある人間を目的として一堂に会するってすごいことなんじゃないか、とこういった空間に足を運ぶたびに思う。

もちろん目的はそこではないから意識して見ることはないけれどライブでの参加スタイルやグッズの着こなし方、客層やスタッフさんの雰囲気といったものを見るのも楽しい。当たり前だが私もそうやって見られている側でもあるだろうけど。

2024-02-08 (Thu.) 25:28

 

どうにかなる

最近【失うものがない人は強い】といった考えを噛み締める瞬間が多い。

私は数年前から失うものがない側の人間になったと自負している。稚拙なプライドも陳腐な承認欲求も消滅し、もうこれ以上苦しことなどないと言い切れるような日々を通り過ぎてからは、無の境地に辿り着いてしまった。それは強いのではなく、どう思われようが構わないから周りの目が気にならなくなり、なりふり構わずズンズン進んでいけるといったもので。

一度レールを外れてしまうと(この言い方は好きではないが)終わり、と言った意見が散見される世の中だが意外と人生どうにかなる。いや、安定や確実といったものを求めるのなら精進するしかないが、私のように死なない程度に生きていられたらといった考えならば思っているよりもどうにかなる。ただ、こういった楽観的ともとれるような意見を悩んでいる人に投げたところで耳に入らない。私もその立場になり身をもって感じないと咀嚼できないことばかりだった。結局そういった学びの繰り返しなんだろうな、人生って。

2024-02-09 (Fri.) 21:00

 

ゆっくり足

心理テストなる本を読んでいたら歩くスピードは?といった問いが現れた。そんなこと考えたことなかったからここで答えを出そうと思う。

早足になるタイミングといったら時間に追われているときや勤務中とかだろうか。私はそれらに加えて紫外線が気になるときは無意識のうちに早足になっている気がする。早足といってもよく抜かれてるから客観的に見たらふつう足くらいかもしれない。

逆に上記に該当しないときはゆっくり足な気がする。特に空気がおいしいときはへー、生きてみるのも悪くないじゃん、と謎の上から目線でこの星を讃えながら味わって歩いている。生まれたてって感じの声が迫ってきたときはさすがにスピードアップしたけど。

結論、時と場合によるがやや遅い、をファイナルアンサーとする。心理テスト側もこんな長々とした回答なんて求めてないって分かってるんだけど。もっと3秒くらいでパッと答えるものだって分かってるんだけど。しかも時と場合による、なんてそりゃそうやろって感じなんだけど。

2024-02-10 (Sat.) 22:09

 

2024|01|21-31

 

あと買いとやら

最近あとがきをよく考えている。本を出す予定などないのに。奇跡が起きて出せたらいいなと思っている何らかの本のあとがきを妄想している。気が早いどころではない。

あとがきを考えだしてから、なんとなく読んでいたあとがきを意識して読むようになった。この本についてやこの本に携わった人に向けた感謝の言葉などが多い。あとがきだからそうだよね、って感じの内容。ときどき関係ない日記や短編のようなものを綴っている人もいて興味深い。勝手に関係ないと思っているだけで実は本編と繋がっているものもありそうだけど。

あとがきだけをまとめた本とかないかな。色々と難しそうだけど私のように面白がる人が一定数いる気がする。既にあったら申し訳ない。出だしを読んで買ってみる、は聞くけどあとがきを読んで買ってみる、は聞いたことない。あとがき買い、略してあと買い。あと払いみたい。

あと買いとまではいかなくても一瞬でも手に取ってもらえるようなあとがきを書けたらいいな。未来の自分へプレッシャーを送っておしまい。

2024-01-21 (Sun.) 18:10

 

自習室の人間模様

自習室を利用する人々を調査したい。どんな勉強をしてるのか、普段何してるのか、勉強の合間のおすすめの息抜き、とかね。

私は典型的な勉強嫌いの学生で自習室という存在をかろうじて認識してるレベルで、勝手に受験生の若者が利用するものだと思っていた。

大人になって興味のある分野を学ぶ楽しさに気づいて気分転換でときどき自習室を利用するようになってから、いくつになっても学ぶ姿勢を忘れない人たちを視界の隅で見てきて。私にとって自習室は、勉強をする場所かつ勇気をもらえる場所になった。

受験勉強をしたり、資格の勉強をしたり、調べものをしたり、人それぞれの学びが集う空間。特に学生が溢れる時期は利用するのを控えて自宅からひっそりと彼らにエールを送っている。私の勉強は今じゃなきゃいけないものではないし、どうせ人が多いと緊張しちゃうからね。

まあ、まともに勉強してこず受験も適当にこなしてきた私のエールなんて呪いになっちゃいそうだけど。

2024-01-22 (Mon.) 14:17

 

ラ・ムーのたこ焼き

昨日、久しぶりにはげしく感動することがあった。それはタイトルにもあるようにラ・ムーのたこ焼きについて。

ラ・ムーは、激安スーパーのチェーン店。そんなラ・ムー名物の店先で売られているたこ焼きを、なにかで見てからずっと気になっていて。ついに買ってみたのが昨日というわけ。昨日はいつもより寒くなくてたこ焼き日和だった。私基準のね。

まず券を購入する。何を隠そうここは券売機スタイル。私には新鮮に感じる。そして一番の驚きが値段。なんとたこ焼き6個で100円なのだ。今って令和だよね?とつい確認したくなる驚愕の価格設定。大変失礼だが値段相応なものが出てくるかと思いきやちゃんとタコ入り、ちゃんとできたて、ちゃんとおいしいという三拍子揃ったもので更に驚き。

こんなにありがたいものが存在していたとは。なんでもっと早く教えてくれなかったのと八つ当たりしたくなるほど感動した。

毎日でも食べたい。毎日食べるために真横に引っ越したい。もし撤退してしまったら別人格のラ・ムーに乗り換えてまた引っ越ししたい。そのくらいラブになった。

2024-01-23 (Tue.) 18:08

 

雪の呪縛

今日雪が降るという予報を見てからそわそわしていた。なぜなら昨年の1月24日も雪が降ったからだ。

豪雪地帯なら大したことではないのかもしれないが、たまにしか降ることのない私の住む街では二年連続同じ日に雪だなんてこうして文章にしてしまうくらいのことで。私だけかもしれないけど。

1月24日は雪に呪縛されているのかもしれない。23日でも25日でもなく、24日。なぜ神はこの日を選んで雪を降らせているんだろう。来年もこの日に雪が降ったらちょっと恐ろしく感じるかもしれないから私にだけこそっと理由を教えてほしい。まあ「神ですが」と突然訪問されても居留守を使っちゃいそうだけど。

いつからか雪にテンション上がらなくなってしまった。今日みたいに何センチも積もる雪なら別だけど、少し積もる、積もらず凍る程度の雪なら楽しいより不便が勝ってしまう。大人になってしまったのかもしれない。積もると子供の陽気な声も含めて楽しくなるから若干の童心を残したまま。

2024-01-24 (Web.) 19:49

 

トンネルを抜けると

おはよう、一面の銀世界とやら。

二日続けて雪の話をしてるのテンション上がってるのがまる分かりでちょっと恥ずかしいけど気にせずいくよ。

朝、カーテンを開けると雪が積もっていて見慣れた景色が一変しているさまが好き。ちがう世界に迷い込んだような。川端康成の雪国の有名な冒頭『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』が脳内をよぎる。この一節には感情が明言されていないけど、一面真っ白で今までとは別のどこかに来てしまったかのような高揚感がなぜか伝わってくる(気がする)。

私はトンネルも抜けてないしパジャマで部屋のカーテンを開けただけだから烏滸がましいけど雪が降るたびに分かるなあ、と感嘆する。

そして雪が降った翌日、朝日に照らされて雪の表面の凹凸が陰影として可視化されるのも好き。すぐ気温が上がって溶けてしまうから一瞬のことなんだけど、とても美しくて見惚れてしまう。一瞬だから希少に感じて好きなのかもしれないが。

2024-01-25 (Thu.) 08:45

 

詩との出会い

二度あることは三度ある、と言うし今日も雪のことを書こうかと思っていたけどやめた。彼の話は尽きないけどそれ以上に書いておきたいことができたから。ごめんね、雪。告白してもないのにフラれた的な状況に陥らせて。

歌集を読むようになってからそれに続くように詩集も読むようになった。短歌は明確な型があるし定石のようなものも存在していて。でも詩は分かりやすい決まりもなくすべてが自由というイメージがあり、どう捉えたらいいのかちっとも分からずただ目で追っている感覚だった。

別にそれが悪いことではないし、よくわからないけど好きだなと思うこともあったけど【表現物の意味をとる】といった意での読むという行為を詩でもしてみたかったのだ。

そんな勝手な期待を抱えながら読んだある詩集で、まさに、読むことができた。スッと入り込む感覚。これを待っていた。君だったのか。

短歌にハマったときのこころの動きと似ている。このまま詩もはじめてしまいそうなくらい興奮している。とりあえずその最高な詩を写してデスクトップに住ませようと思う。出会った今日の日付も書いて。

2024-01-26 (Fri.) 16:33

 

年齢コミュニケーション

私の歳的にも、今の環境的にも、圧倒的に年上の方に囲まれて日々生きている。若々しいとか見た目がどうこうとかではなく、どう見ても甘ったれた若造だから年齢を聞かれることが多い。どうしてここにいるんだと言ったニュアンスで。すまんね、いて。

会話の中で年齢を聞かれるとき、相手も本当に私の年齢に関心があって聞いているわけではなく話のとっかかりとして聞いているだけなのは分かっているけれど、もし私も同じように年齢を聞いたら目の前にいるこの人はどんな顔をするんだろうと思うことがよくある。こいつは聞き返してこないだろうという前提で聞かれている気がするのだ。あの独特の空気感よ。それこそ気のせいかもしれないが。

女性に年齢を聞くのは失礼、とよく言うけどその気遣いの方がよっぽど失礼なんじゃないのと思う。なんで己の年齢を恥じなきゃいけないんだ。だからといってひとの年齢なんて興味ないから聞くことはほぼないが。年齢なんてひとつの記号でしかないし、私のように無駄に年だけ重ねて年下に顔向けできないような人生を送っている人間もいるんだ。それはまた別の話か。

2024-01-27 (Sat.) 17:30

 

ブログのこと

はてなブログ内の通知が①になっていて怯えながら見たら、ある記事に⭐︎がついたといったものだった。なにそれ。いいねとかお気に入り的なものなのかな。悪いことではなさそうで一安心。

自らネットの海に垂れ流しているとはいえ、誰にも教えてないしリンクが貼ってあるXも全く動かしてないし、で見られている意識がゼロだったから気が引き締まる。と同時に書いている本人でも読むに耐えないものも読んでくれて、しかもアクションもしてくれる方がいるなんてとても嬉しいしありがたい。

世の中捨てたもんじゃないね。よく分からんブログで世の中とか語るなよって聞こえてきそうだけどテンション上がってるから許してね。

ブログ関連でもうひとつ。5日前の文が明らかに長くて調べたら500字近くあって。約400字で〜と掲げているのにこれはさすがにまずい気が。しかもたこ焼きに興奮している内容で妙に恥ずかしい。そのうちこそっと削ろう。5日前の自分を恨む。たこ焼きは恨まない。

2024-01-28 (Sun.) 20:09

 

直近のこれから

タイトルそのまんま。3月から4月にかけて、とてつもなく忙しくなりそう。とてつもなくって私比であってみんなからしたら大したことないかもだけど。とにかく一日一日頑張るしかないね。

最近はその忙しくなる日々に向けて色々準備している状態。内向的な人間だから連絡を取ったり予定を組んだりするのは神経がすり減るしハラハラしっぱなしだけど、逆に生きてるって感じがしていいね。KAT-TUNの曲のように生きていくよ。ギリギリでね。やっとまともに世の中と関われてきた気がするし。今年の夏頃にはあのときの自分頑張ってくれてありがとう、と思えるように生きたい。常にそうだけど特に。

落ち着いたらヒトカラ行って、中々予定が合わないでいる飲み会を決行して、サイゼリヤで豪遊するんだ。そういうのがあるから生きていけるよね、人間って。私がもしお金持ちになったらこういったご褒美は大人買いとか海外旅行とかになるんだろうか。全然想像できなくてウケる。

2024-01-29 (Mon.) 09:34

 

いつもの本屋で

あと50分も時間を潰さなきゃいけないのに持ってきた本はとっくに読み終えてしまって手持ち無沙汰である。どうでもいいが時間を潰すって反逆的な響きで良い。

とりあえずいつもの本屋に行くことに。時間もあるしここには存在しないであろう歌集や詩集を改めて探してみたら、予期せぬ場所に息を潜めていた。子供の頃から利用している本屋なのに唯一足を踏み入れたことのない空間。レジの真横の小さな空間。きっとなんとなく気まずくて避けてたんだろう。

そんなところにいたの。誰にも届かないつぶやきを放ったらラインナップの拝見といこうか。やはり定番どころが多い。さすがに駅近の本屋には敵わないけど入り口としてはふさわしいラインナップであろう。と何者でもない空虚な私が勝手に評価を下す。

そのとき、近くの時計売り場から無機質な悲鳴が聞こえる。きっとお客さんが勝手にアラームを設定したんだろう。誰かが走ってくる気配がする。さてと、潰さなくていい時間まで潰したところで帰ろうか。

2024-01-30 (Tue.) 17:13

 

罪滅ぼしの方法

約8カ月ほどヘアドネーションのため髪を伸ばしていた。年中ボブかショートの私が。

ここ何年か献血ルームのある街に行くときはできるだけ寄るようにしていて。決して良心とかではなく、このような人間が生きていることへの罪滅ぼしという自分本位な考えから。しかし献血後に倒れたのを最後に、怖くて行けていない。

そんなときヘアドネーションを思い出しこれなら私にもできるんじゃないかと、これまた自分本位な考えから髪を伸ばすことにした。

でも、結局できなかった。ただでさえ髪の量が多くドライヤーがつらい、ヘアケアが大変、髪の長い自分の姿に耐えられない、といったあまりにも愚かな理由でここに書くのを迷ったくらい。

寄付には最低でも31cm必要で、自分がしたい髪型+余裕を持って31cm以上伸ばすのが思っていた何十倍も大変なことを痛感した。

こんな私に、あと、なにができるんだろうか。献血ができる体で髪も伸ばせるのに。今は臓器提供の意思表示くらいしかできていない。身を粉にして働きながら適切な団体に寄付しつつ、献血に打ち勝つ体づくりに励むべきなのか。

2024-01-31 (Web.) 09:00

2024|01|11-20

 

嫉妬に狂う

嫉妬ってなんだろう。自分には存在するものなのか。

幼少期に好きな友達が別の同級生と仲良くしていると寂しくなるようなことはあったけど、今思うとあれはただの独占欲だった。明確に嫉妬という感情を抱いた記憶がない。

嫉妬には自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと、という意もあるが最近は恋愛間で発生するやきもちを指すことが多い気がする。嫉妬という感情が存在しないのか、嫉妬するほど思い入れのある相手と出会っていないのか、もしくは既に経験しているがそれを嫉妬と認識できていないだけなのか。神よ教えてくれ。

【嫉妬=好き】は人によっては成立するのかもしれないが【好き=嫉妬】は必ずしも起こりうるわけではないことだけは書いておきたい。自分のためにも。

一度は嫉妬に狂う、という経験をしてみたいが実際その状況に置かれたら何も手につかなくなって社会生活を疎かにする自信しかないから、やっぱり平穏がいちばんなのかも。

2024-01-11 (Thu.) 10:04

 

 凍える日々

冬に冷たいものを飲むと心臓がどきどきする。実際どきどきしてるのは心臓じゃないかもだけど、どきどきという単語に続く臓器を心臓しか知らないからイメージでね。

白湯は美容にいい!と昔から言われているけど私は冷たい飲み物がとことん好き。温めよう、とか寒いし今日はやめよう、とか一切考えたことがない。自分の体には悪いなと思いつつ、ひえっひえの液体が喉元を通過する感覚を楽しんでいる節がある。ある種のあまのじゃくかもしれない。そんなかわいいものじゃないけど。

何十年後かには、南部鉄器のかっこいいやかんで白湯をつくってゆっくりと喉を潤すような余裕のある朝を送るようになっているんだろうか。丁寧な暮らしって感じでさ。

そうそう。『丁寧な暮らし』ってフレーズがあまりに飽和したせいか、ばかにする人も出てきたけど私は心から憧れてるよ。ここに書いたところで丁寧な暮らしを送っている人には届かないだろうけど。

2024-01-12 (Fri.) 14:16

 

きっと

今日は正真正銘ツイてない日。この更新をサボってしまおうかと思うくらいに。

本当に疲れちゃったけど、こうして書き始めることができたからもう大丈夫。あとは思うままに綴るだけ。ついでにわたしのこれからも大丈夫、きっと。大丈夫って言い続けたら大丈夫になるっていうのが数少ない自論。良くも悪くも、言葉にして形を与えると人生を左右してしまうくらいの力になるから、きっと。

「きっと」っていい単語だよね。語感も字面も得体の知れないかわいさがあってさ。希望的観測だいすき。そういう話ばかりしていたい日もあるよね、それが今日だったみたい。

明日はいい日になるよ、きっと。この場合の『いい』って相対的なものではなく100%主観だからわたしがいいって言い張ったらいいになる。こんな酔っ払いが書いたみたいな駄文に付き合ってくれるあなたの明日もいい日になるよ、きっと。

頑張るぞって人は頑張りすぎず頑張って、のんびりするぞって人は思いっきりのんびりしてね。わたしは頑張りすぎず頑張るね。

2024-01-13 (Sat.) 18:37

 

寒い!眠い!行きたくない!

パソコンが異様につめたい。この季節はキーボード部分以外に触れないようビクビクしながら触れてる。夏はひんやりなのに冬はつめたい。私の感じ方の問題なんだけどさ。パソコン自身はどっちの方が暮らしやすいんだろうか。まあ、それを知ったところで快適な環境を用意する力などないんだけど。

今日は早番に加えいつもよりちょっと早起きできたからこの時間に更新してる。毎日朝、特に決まった時間に更新できるような人間に憧れる。私はなにをしようにもバラッバラ。そして時間が迫りつつあるから若干焦ってる。えっ、何書きゃいいんだ。寒い眠い行きたくない以外の感情がない。何かしらの天変地異が起きて突然休みにならないかな。給料はいただきたいけども。

昨日読み始めた本が思った以上に自分に合っていて今すぐに読みたいし、はやく大切なところを書き写したい。最近は歌集ばかり読んでいてもうエッセイや小説にハマることはないのかも、と不安に思っていたから胸を撫で下ろしている。

はやく家に帰ってはやく読もう、私。

2024-01-14 (Sun.) 05:19

 

このまま消える

今日は寝過ぎもいいところだよって感じの一日だった。起きたら夕刻で夢かと思い、もはや夢だと思いたくて意味もなく二度寝した。浅い眠りを繰り返したのち観念して起きたけど。

そのあと色々とポチッたり洗濯したりご飯を作ったり、比較的のんびり過ごして今に至る。食後だからかもう眠い。起きてから六時間程度しか経ってないのに。自分の体が怖い。

どれだけでも眠れてしまうからゆるやかに死へ向かっているんじゃないかと思うときがある。ただの睡眠が永遠の眠りになるんじゃないか、今その狭間にいるんじゃないか、とぐるぐると思考し気づいたら寝ていて、気づいたら朝になっている。私あるある。

別に生きていたいと思ったことはないけど、だからと言って猛烈に消えてしまいたいと思うこともあまりない。思っても実行できる度胸もないし。悲観的なわけでも希死念慮を抱えているわけでもなく、答えのないことを考えるのが好きなだけ。

今日の内容は壁打ちだから言えることって感じだね。おしまい。

2024-01-15 (Mon.) 21:48

 

必要のないフェイント

生活のなかで必要のないフェイントを発動したくなる。サッカーのフェイントじゃなく【ふりをする】の方のフェイント。サッカーとかできる気がしないし、フェイントなんてもっとできる気がしないし。

たとえば歯医者さんに歯の掃除をしてもらったあと「ゆすいでお待ちください」と言われた際ゆすぐと見せかけて飲んでやろうかな、とかポストをじっと見つめ投函すると見せかけて取集時刻を確認しただけですけどみたいな顔して颯爽と立ち去ってやろうかな、とか意味のないこと。そして誰も気にしてないし見てもいないこと。

前者に至っては自分が困ることなのに脳内でこういうことばかり思い浮かぶ。助けてくれ。実際に行動に移すことはないけど。

同じようなことを考えてしまう人いないかな。私だけだったら困るな。常に建設的なことを考えていたいとか無駄をなくしたいとかではないし、むしろそういった考えと正反対の人間だけど流石にメンタルが小学生過ぎるな。いや、小学生に失礼なレベルか。

2024-01-16 (Tue.) 18:46

 

なうと通話

久しぶりに長時間通話したから脳が通話モードになってる。なう。

なんでかんでも語尾に『なう』をつけとけばいいと思ってる。もしかして時代遅れなのかな。信じたくない。なうが流行ったのは2010年らしいから厳密には世代ではないけど誰よりも使ってる気がする。誰よりも、は盛ったかも。

なうってかわいい響き。なうなうなう。Nowでもナウでもなく、なうって感じで。

そうそう、通話っていいよねって話。気軽に通話できる相手が欲しい。作業通話もいいよね。まあ作業してるときは基本音楽を流してるか私自身が歌ってるから無理なんだけどさ。相手の手が止まるくらい熱唱してやろうかな。無言で切られそう。

そんなこと考えてたらもう七時になりそうでふるえる。明日も生きよう。帰宅したらたくさん届いているであろう荷物を見事に捌いて、片付けと掃除をする。そして写真を整理して、洗濯する。ここに書いた以上絶対やってね。

昨日の自分より。

2024-01-17 (Wed.) 18:38

 

社交的、か

荷物は届いてなかったし片付けも掃除も写真の整理もしなかった。昨日の私マジごめん。洗濯と無駄な間食だけ達成したから許してね。

あー。今日は変にもやもやしちゃったな。いい加減社交的な人間に転身したいから、自分から行くのは無理でも向こうからきてくれたものにはできるだけ拒絶しないぞって心に決めてたけど早速折れてしまいそう。無理してまで人間関係を構築する必要もないと思うけど、そうやって逃げてきた結果が今の自分だと思うと多少の無理も必要なタイミングなのかな。

どうしたらいいんだ。取り繕うのは構わないけど取り繕ったあとの反動が怖いんだ。謎の疲労と何かがすり減る感覚。社交的な性格だとそんなもの存在しないのかな。それとも慣れなのかな。定番の来世に期待、ちゃんちゃんって感じだと困る。

人と会おう。人と話そう。積極的、とまではいかなくとも消極的からは脱出したいな。自分でも本心なのか分からない思いを綴っておしまい。

2024-01-18 (Thu.) 23:49

 

なるようになるはず

なるようにしかならない、をなるようになる、に変えていきたい。根がネガティブなのが露呈していて悲しくなるから。

特に成人してからどうにもならないものはどうにもならない、生まれ持ったものを抱えて生きていくしかないという一種の諦めのような感情がおおきくなり、何事もなるようにしかならないと心の中で唱えることが多くなった。

その影響か、年齢を重ねて感情が凪になりつつあるのか、あるいはどちらともなのか分からないけど本当にすこしだけ生きやすくなった。ただ、自身の空想的な部分が削がれているような気がしてもやもやしてしまう。今まで恥じていたはずなのに、いざいなくなるとぐだぐだ言いだすのは彼らに悪いなぁ、と思いつつ。

せめてなるようになる!とあかるく唱えられるようになりたい。諦めではなく今までの自分を信じてあげようよ、といった気持ちで。言葉の綾だと切り捨てられてしまいそうなことだけど、言葉に影響を受けやすい人間だからこそ一字一句妥協せず生きたい。私のためにも。

2024-01-19 (Fri.) 18:31

 

明暗

太陽と月ってモチーフとして使われがち。ふたりもしくはふたつ存在するものに対して当てはめられることが多い。そりゃそうか。月と太陽自体は対照的ではない気がするけど、昼と夜と考えると分かる気がする。おもしろい。

端的に表すと明暗なのかな。自分はどっちに当てはまるか考えてみると確実に月なんだけど、そんな美しいものじゃないよ私は……となる。月に失礼。泥水、灰汁とかがしっくりくる。謎の液体縛りは置いといて。

みな多かれ少なかれ月な部分を抱えて生きているし、比率が人それぞれなだけでどちらも在るんだろうな。私はどちらかというと人の月な部分を知りたくなるしとても愛おしく思う。月に内包されたものは勿論、月だと思って隠していたことや私に月を見せてくれたことも含めて。

これからは太陽な部分を増やしていきたい。月たちが居心地悪く感じるくらい。厭世的な自分だからそのぐらいの意気込みで生きていけたらちょうどよくなる気がする。まあ月があるから太陽が際立つのかな、とも思うから最適な比率を探っていきたい。

2024-01-20 (Sat.) 16:44

2024|01|01-10

 

あけましたね!

はじめまして。ブログを始めてみました。

文章力も語彙力も皆無なので日記でも書いてみるかと思い立ったのですが、日々の記録というより感情や思考の記録になりそうな気がしています。制限を設けないとだらだらと書いてしまいそうなので、原稿用紙一枚分の400字程度を目安に毎日書く予定です。

と、ここまででもう約140字。Xの1ポスト分ですね。思ったより早い。

話は変わりますが、今日は2024年1月1日。一粒万倍日と天赦日が重なる最強開運日、らしいですがよく理解していません。まあ、とにかく新しいことをはじめるのに適した日らしいので、先延ばしにしていたブログやXの開設をしたりこの日記をスタートさせたりしてみました。

それ以外は特に変わったこともなく一年に一度の元日を終えそうです。とりあえずこのあとカレーを作って短歌をいくつか投稿しようかな。

正月からカレーを食べる稀有な方がいましたら、ぜひお友達になりましょう。

2024-01-01 (Mon.) 15:05

 

挨拶は合法

挨拶を無視する人は大体決まっている。

無視されてイラッとするときもあるけど、同じ土俵に立ちたくないから基本的には挨拶を欠かさない。稀にかなりイラッとしたときは、あれ?聞こえてない?みたいな白々しい表情を浮かべながらもう一度挨拶をしてしまう。

このとき、挨拶が合法で良かった……と安堵すると同時に、なんて意地の悪い人間なんだと自己嫌悪に陥る。

と、ここまで挨拶の強要/神格化とも取れるような内容だけど決してそうではなく、露骨に人を選んで無視している人に向けたものであって、何かの偶然が重なって挨拶を返せない人や挨拶どころではない肉体的・精神的な状態の人には何も思わない。私含め誰しもが起こりうることなので。

あんたどっちなんだよって感じだけど、私は特に仕事上での挨拶を【円滑に作業を進めるための関係性構築の足掛かりに最適かつ定型文を発しただけで若干の好感度を得られる便利なツール】と認識していて。まあ、ないよりはあった方がいいのかもねって話です。

2024-01-02 (Tue.) 18:38

 

『夜』

夜が含まれる言葉はたくさんある。人は夜を概念ごと好きなんだな、と思うくらいに。

日常的に使われるのは夜中・夜道・夜景・深夜とかかな。個人的に、夜道は心配のニュアンスで使われることが多く、誰かの誰かに対するやさしさが言葉自体に気配として漂っている感じが好き。

そして、夜といったら朝*1

朝が含まれる言葉はもちろんたくさんあるのだけれど、夜に比べると日常的に使われる言葉が少ない気がする。もっとあってもいいのに。そのままだけど朝中・朝道・朝景・深朝とかさ。

なぜなのか。終始、主観的な考えを綴っているのは許してほしい。

夜にはその言葉自体が持つ意味以上のものが入り込む隙のある単語なのかもしれない。夜に限らず雨もそんな感じがする。探したら結構ありそうでワクワクする、探してみたい。

漢字一字で詩的な雰囲気を漂わせる、夜。その他大勢(仮)。

滅茶苦茶かっこいいな……。私が漢字に生まれ変わるなら、そんな存在になりたい。今のままじゃ無理そう。

2024-01-03 (Wed.) 17:28

 

脱!三日坊主

おはよう、1月4日。おはよう、もう三日坊主ではない私。

今までの私は三日坊主を絵に描いたような人間だったから三日間も続けられたことに感動している。客観的に見たら大したことではないかもしれないが、ひどく飽きっぽくて常に興味や関心が色々な方向へぶっ飛んでいる自分にとっては大きな一歩だと思っている。

このブログに限らず、とりあえず三日間・とりあえず一週間・とりあえず一ヶ月という意識でずるずると続けていきたい。『継続は力なり』を体現したいから習慣をひとつでも多く身につけたい。と、2024年4日目にして今年の目標が突如決まった。

また初日のブログに書いたように、文字数は400字程度を目安にしているのだが±10を超えている日が既にある。厳しくしたらやらなくなるのが目に見えているがここで自分に甘くしてしまっていいのか、それじゃ何も変わらないんじゃないか、と審議した末、ゆるくいきましょという結果に。神よ許して。

2024-01-04 (Thu.) 16:18

 

愉を挟む

不快と不愉快、どう違うのか。

気になって調べてみたら、不快の意味に不愉快が含まれていたからほとんど同じなんだろうけど、やっぱり微妙に違うような。【不愉快】は楽しく気持ちのよいことという意である【愉快】に打ち消しの【不】がついていることから、気持ちだけでなく身体の状態も表す【不快】よりも範囲が狭く、特に人対人の間で発生する精神面での嫌悪感を表しているように思う。

不と快で愉を挟むことで意味を狭めることができるなんて、言葉って面白い。だから好き。

「不愉快」って発したことないから想像でしかないけど、人の言動に対して絶句しているイメージ。信じられない、もう関わりたくない、って感じで。そんな感情を抱かせる要因は消えちゃえばいいのに、とか思いつつ誰かにとっては私がその要因になっているかもと思うと消えたくなっちゃう。消えないけどさ。

そんなことばかり考えていつにも増してぼんやり生きていた。それこそ周囲を不愉快にさせてしまったかもしれない。

2024-01-05 (Fri.) 20:32

 

女の幸せ、とか

結婚とか出産とか。特に成人してからよく話題に上がる言葉たち。

今の自分の考えを明確にしておきたくてここに綴ろうと思う。興味ないよって人は飛ばしてね。

子供を授かりたいという感情は全くない、一度たりともない。これだけは言い切れる。理由は長くなるから書かないけど子供が嫌いだから、ではないことだけは書いておきたい。綺麗事かもしれないが、この世に生を享けたものすべてが健やかであってほしいと心から願っている。

結婚はよく分からない。良きタイミングに良き相手と巡り会えたらするのかもしれないし、しないのかもしれない。願望も希望もなく、前者ほど強い感情がない。

もし私が結婚や出産が女の幸せだとなんとなく定義されていた時代に大人になっていたら順応できた気がしないからこの時代で良かった、とよく思う。ただ、母親という立場の人間を見ると純粋に尊敬する。それは出産や子育ての神格化からなるものではなく、単純に自分にないものを持っているという漠然とした感情で。

2024-01-06 (Sat.) 20:16

 

テレビっ子だったはず

住宅街から日曜日感強めのテレビの音がする。こういう些細な幸せがいちばん好き。

日曜日といえば笑点、ちびまる子ちゃん、サザエさんの王道の流れが浮かぶ。笑点のお題に合わせた簡易的な仮装が好きだったな、とかまる子とたまちゃんの喧嘩回で号泣してたな、とか最後のサザエさんとのじゃんけんに本気で取り組んでたな、とか色々思い出す。明日学校か、とほの暗い感情を抱えて眠りにつくところまでセットで。

幼い頃は生粋のテレビっ子だったのにいつの間にか全くテレビを見ないようになっていた。自分の部屋にテレビがないのがいちばんの理由だけど、ネットの世界だけで満足できるくらい発展したのも大きい。

ドラマやアニメもだけど、オンラインゲームもブログも動画サイトも掲示板も私を形成している大切なコンテンツたち。サービスが終了していたりオワコンと呼ばれているものもあるけど、定期的に訪れてしまう。

もうあの頃一瞬でも交わった人も友達もきっと存在しないのに。

2024-01-07 (Sun.) 16:24

 

休みLOVE

休みの前日の夜更かしが、夜更かしの中でいちばん心が安らぐ。

明日は絶対なにもしてやらない。好きなものを適度に食べて、好きな音楽を適度に聴いて、たくさん寝まくるぞ。そんな気持ちで。

まさに今その状況。土日だろうと平日だろうと休日があって欲しいからシフト制を心から愛してる。まあ働かずに生きていけるなら絶対働かないんだけどさ。あー、宝くじ当たらないかな。もしくは給料が今の百倍とかにならないかな。もしくは何かの手違いで百億くらい振り込まれてないかな。

ここまで、あまりに中身の無さで私がビビってる。きっと誰も見てないしネットの片隅に放流しているような感覚だから見られている意識がほとんどない。毎日のように何かしら文章を投稿している方ってどういうモチベーションで向き合ってるんだろう。やっぱりテーマを設定した方がいいのかな。気になるけど私がそんな熱量でやったら一瞬で飽きちゃいそうだからいいや。

2024-01-08 (Mon.) 20:55

 

気分だけ6:30

ありえない時間に更新してる。もはや明日じゃん。
生粋の夜型人間だから改善しようとかなり無理やり朝方人間に転身したはずなのに、休日が現れた途端コレ。もうすべて諦めてTHE夜型人間として生きていこうか。私の体は私のものなのに全然コントロールできないし、最近は心すら管轄から外れている気がする。

気になって調べてみたら朝型/夜型って遺伝子が関係しているらしい。なんじゃそりゃ。もう改善とか転身とかの次元ではないことだから考えるのをやめた。
いつ起きるとか寝るとか自分の体と心に従おう。社会生活に滞りのない程度に。どうせ単純な人間だから、昼頃に起きようがラジオ体操の音源を聴いたら6:30な気がしてくるし。

朝とは犬猿の仲でした、と表明して辞任しよう。そして全世界からバッシングを受けて唯一味方でいてくれる夜と仲良くやっていくよ。

勢いで綴ったら今日は特に私の脳内そのままって感じの文章に。こういうのもいいじゃんって言ってくれる人が世界に一人でもいてくれることを願って。

2024-01-09 (Tue.) 23:52

 

短歌と繊細

歌人には繊細なひとが多い、ってたまに見かけるんだけど本当なんだろうか。

まず、大きさや方向性はそれぞれにしろ人は何かしらの繊細さを持ち合わせているものだと思っている。そして短歌は一瞬を切り取るものや小さなことを大きく見せるものが多い。だから無意識のうちに自身が持っている繊細さが生きる視点を武器に定型に落とし込むから、必然的にその人の繊細さが際立つんだと思う。

ここまで書いといてなんだけど短歌という表現方法を選択している時点で繊細、というのはあながち間違っていないとも思う。同時に自分の繊細さを武器に形にできる時点である種の強さも持ち合わせている気がするが。

私は繊細だろうと繊細じゃなかろうと短歌が好きな人、というだけでほんのり好きというスタートラインになる。そして私自身は繊細とは無縁な人間だと思っている。

まあ歌人の方に一度もお会いしたことないかつ短歌初心者の考えなので話半分で聞いてね、って感じでおしまい。

2024-01-10 (Wed.) 16:21

*1:正確には夜の対義語は昼だけど私の感覚では朝なのでここでは朝とさせてね