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日々約400字を羅列する脳内すけすけなログ

2024|01|21-31

 

あと買いとやら

最近あとがきをよく考えている。本を出す予定などないのに。奇跡が起きて出せたらいいなと思っている何らかの本のあとがきを妄想している。気が早いどころではない。

あとがきを考えだしてから、なんとなく読んでいたあとがきを意識して読むようになった。この本についてやこの本に携わった人に向けた感謝の言葉などが多い。あとがきだからそうだよね、って感じの内容。ときどき関係ない日記や短編のようなものを綴っている人もいて興味深い。勝手に関係ないと思っているだけで実は本編と繋がっているものもありそうだけど。

あとがきだけをまとめた本とかないかな。色々と難しそうだけど私のように面白がる人が一定数いる気がする。既にあったら申し訳ない。出だしを読んで買ってみる、は聞くけどあとがきを読んで買ってみる、は聞いたことない。あとがき買い、略してあと買い。あと払いみたい。

あと買いとまではいかなくても一瞬でも手に取ってもらえるようなあとがきを書けたらいいな。未来の自分へプレッシャーを送っておしまい。

2024-01-21 (Sun.) 18:10

 

自習室の人間模様

自習室を利用する人々を調査したい。どんな勉強をしてるのか、普段何してるのか、勉強の合間のおすすめの息抜き、とかね。

私は典型的な勉強嫌いの学生で自習室という存在をかろうじて認識してるレベルで、勝手に受験生の若者が利用するものだと思っていた。

大人になって興味のある分野を学ぶ楽しさに気づいて気分転換でときどき自習室を利用するようになってから、いくつになっても学ぶ姿勢を忘れない人たちを視界の隅で見てきて。私にとって自習室は、勉強をする場所かつ勇気をもらえる場所になった。

受験勉強をしたり、資格の勉強をしたり、調べものをしたり、人それぞれの学びが集う空間。特に学生が溢れる時期は利用するのを控えて自宅からひっそりと彼らにエールを送っている。私の勉強は今じゃなきゃいけないものではないし、どうせ人が多いと緊張しちゃうからね。

まあ、まともに勉強してこず受験も適当にこなしてきた私のエールなんて呪いになっちゃいそうだけど。

2024-01-22 (Mon.) 14:17

 

ラ・ムーのたこ焼き

昨日、久しぶりにはげしく感動することがあった。それはタイトルにもあるようにラ・ムーのたこ焼きについて。

ラ・ムーは、激安スーパーのチェーン店。そんなラ・ムー名物の店先で売られているたこ焼きを、なにかで見てからずっと気になっていて。ついに買ってみたのが昨日というわけ。昨日はいつもより寒くなくてたこ焼き日和だった。私基準のね。

まず券を購入する。何を隠そうここは券売機スタイル。私には新鮮に感じる。そして一番の驚きが値段。なんとたこ焼き6個で100円なのだ。今って令和だよね?とつい確認したくなる驚愕の価格設定。大変失礼だが値段相応なものが出てくるかと思いきやちゃんとタコ入り、ちゃんとできたて、ちゃんとおいしいという三拍子揃ったもので更に驚き。

こんなにありがたいものが存在していたとは。なんでもっと早く教えてくれなかったのと八つ当たりしたくなるほど感動した。

毎日でも食べたい。毎日食べるために真横に引っ越したい。もし撤退してしまったら別人格のラ・ムーに乗り換えてまた引っ越ししたい。そのくらいラブになった。

2024-01-23 (Tue.) 18:08

 

雪の呪縛

今日雪が降るという予報を見てからそわそわしていた。なぜなら昨年の1月24日も雪が降ったからだ。

豪雪地帯なら大したことではないのかもしれないが、たまにしか降ることのない私の住む街では二年連続同じ日に雪だなんてこうして文章にしてしまうくらいのことで。私だけかもしれないけど。

1月24日は雪に呪縛されているのかもしれない。23日でも25日でもなく、24日。なぜ神はこの日を選んで雪を降らせているんだろう。来年もこの日に雪が降ったらちょっと恐ろしく感じるかもしれないから私にだけこそっと理由を教えてほしい。まあ「神ですが」と突然訪問されても居留守を使っちゃいそうだけど。

いつからか雪にテンション上がらなくなってしまった。今日みたいに何センチも積もる雪なら別だけど、少し積もる、積もらず凍る程度の雪なら楽しいより不便が勝ってしまう。大人になってしまったのかもしれない。積もると子供の陽気な声も含めて楽しくなるから若干の童心を残したまま。

2024-01-24 (Web.) 19:49

 

トンネルを抜けると

おはよう、一面の銀世界とやら。

二日続けて雪の話をしてるのテンション上がってるのがまる分かりでちょっと恥ずかしいけど気にせずいくよ。

朝、カーテンを開けると雪が積もっていて見慣れた景色が一変しているさまが好き。ちがう世界に迷い込んだような。川端康成の雪国の有名な冒頭『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』が脳内をよぎる。この一節には感情が明言されていないけど、一面真っ白で今までとは別のどこかに来てしまったかのような高揚感がなぜか伝わってくる(気がする)。

私はトンネルも抜けてないしパジャマで部屋のカーテンを開けただけだから烏滸がましいけど雪が降るたびに分かるなあ、と感嘆する。

そして雪が降った翌日、朝日に照らされて雪の表面の凹凸が陰影として可視化されるのも好き。すぐ気温が上がって溶けてしまうから一瞬のことなんだけど、とても美しくて見惚れてしまう。一瞬だから希少に感じて好きなのかもしれないが。

2024-01-25 (Thu.) 08:45

 

詩との出会い

二度あることは三度ある、と言うし今日も雪のことを書こうかと思っていたけどやめた。彼の話は尽きないけどそれ以上に書いておきたいことができたから。ごめんね、雪。告白してもないのにフラれた的な状況に陥らせて。

歌集を読むようになってからそれに続くように詩集も読むようになった。短歌は明確な型があるし定石のようなものも存在していて。でも詩は分かりやすい決まりもなくすべてが自由というイメージがあり、どう捉えたらいいのかちっとも分からずただ目で追っている感覚だった。

別にそれが悪いことではないし、よくわからないけど好きだなと思うこともあったけど【表現物の意味をとる】といった意での読むという行為を詩でもしてみたかったのだ。

そんな勝手な期待を抱えながら読んだある詩集で、まさに、読むことができた。スッと入り込む感覚。これを待っていた。君だったのか。

短歌にハマったときのこころの動きと似ている。このまま詩もはじめてしまいそうなくらい興奮している。とりあえずその最高な詩を写してデスクトップに住ませようと思う。出会った今日の日付も書いて。

2024-01-26 (Fri.) 16:33

 

年齢コミュニケーション

私の歳的にも、今の環境的にも、圧倒的に年上の方に囲まれて日々生きている。若々しいとか見た目がどうこうとかではなく、どう見ても甘ったれた若造だから年齢を聞かれることが多い。どうしてここにいるんだと言ったニュアンスで。すまんね、いて。

会話の中で年齢を聞かれるとき、相手も本当に私の年齢に関心があって聞いているわけではなく話のとっかかりとして聞いているだけなのは分かっているけれど、もし私も同じように年齢を聞いたら目の前にいるこの人はどんな顔をするんだろうと思うことがよくある。こいつは聞き返してこないだろうという前提で聞かれている気がするのだ。あの独特の空気感よ。それこそ気のせいかもしれないが。

女性に年齢を聞くのは失礼、とよく言うけどその気遣いの方がよっぽど失礼なんじゃないのと思う。なんで己の年齢を恥じなきゃいけないんだ。だからといってひとの年齢なんて興味ないから聞くことはほぼないが。年齢なんてひとつの記号でしかないし、私のように無駄に年だけ重ねて年下に顔向けできないような人生を送っている人間もいるんだ。それはまた別の話か。

2024-01-27 (Sat.) 17:30

 

ブログのこと

はてなブログ内の通知が①になっていて怯えながら見たら、ある記事に⭐︎がついたといったものだった。なにそれ。いいねとかお気に入り的なものなのかな。悪いことではなさそうで一安心。

自らネットの海に垂れ流しているとはいえ、誰にも教えてないしリンクが貼ってあるXも全く動かしてないし、で見られている意識がゼロだったから気が引き締まる。と同時に書いている本人でも読むに耐えないものも読んでくれて、しかもアクションもしてくれる方がいるなんてとても嬉しいしありがたい。

世の中捨てたもんじゃないね。よく分からんブログで世の中とか語るなよって聞こえてきそうだけどテンション上がってるから許してね。

ブログ関連でもうひとつ。5日前の文が明らかに長くて調べたら500字近くあって。約400字で〜と掲げているのにこれはさすがにまずい気が。しかもたこ焼きに興奮している内容で妙に恥ずかしい。そのうちこそっと削ろう。5日前の自分を恨む。たこ焼きは恨まない。

2024-01-28 (Sun.) 20:09

 

直近のこれから

タイトルそのまんま。3月から4月にかけて、とてつもなく忙しくなりそう。とてつもなくって私比であってみんなからしたら大したことないかもだけど。とにかく一日一日頑張るしかないね。

最近はその忙しくなる日々に向けて色々準備している状態。内向的な人間だから連絡を取ったり予定を組んだりするのは神経がすり減るしハラハラしっぱなしだけど、逆に生きてるって感じがしていいね。KAT-TUNの曲のように生きていくよ。ギリギリでね。やっとまともに世の中と関われてきた気がするし。今年の夏頃にはあのときの自分頑張ってくれてありがとう、と思えるように生きたい。常にそうだけど特に。

落ち着いたらヒトカラ行って、中々予定が合わないでいる飲み会を決行して、サイゼリヤで豪遊するんだ。そういうのがあるから生きていけるよね、人間って。私がもしお金持ちになったらこういったご褒美は大人買いとか海外旅行とかになるんだろうか。全然想像できなくてウケる。

2024-01-29 (Mon.) 09:34

 

いつもの本屋で

あと50分も時間を潰さなきゃいけないのに持ってきた本はとっくに読み終えてしまって手持ち無沙汰である。どうでもいいが時間を潰すって反逆的な響きで良い。

とりあえずいつもの本屋に行くことに。時間もあるしここには存在しないであろう歌集や詩集を改めて探してみたら、予期せぬ場所に息を潜めていた。子供の頃から利用している本屋なのに唯一足を踏み入れたことのない空間。レジの真横の小さな空間。きっとなんとなく気まずくて避けてたんだろう。

そんなところにいたの。誰にも届かないつぶやきを放ったらラインナップの拝見といこうか。やはり定番どころが多い。さすがに駅近の本屋には敵わないけど入り口としてはふさわしいラインナップであろう。と何者でもない空虚な私が勝手に評価を下す。

そのとき、近くの時計売り場から無機質な悲鳴が聞こえる。きっとお客さんが勝手にアラームを設定したんだろう。誰かが走ってくる気配がする。さてと、潰さなくていい時間まで潰したところで帰ろうか。

2024-01-30 (Tue.) 17:13

 

罪滅ぼしの方法

約8カ月ほどヘアドネーションのため髪を伸ばしていた。年中ボブかショートの私が。

ここ何年か献血ルームのある街に行くときはできるだけ寄るようにしていて。決して良心とかではなく、このような人間が生きていることへの罪滅ぼしという自分本位な考えから。しかし献血後に倒れたのを最後に、怖くて行けていない。

そんなときヘアドネーションを思い出しこれなら私にもできるんじゃないかと、これまた自分本位な考えから髪を伸ばすことにした。

でも、結局できなかった。ただでさえ髪の量が多くドライヤーがつらい、ヘアケアが大変、髪の長い自分の姿に耐えられない、といったあまりにも愚かな理由でここに書くのを迷ったくらい。

寄付には最低でも31cm必要で、自分がしたい髪型+余裕を持って31cm以上伸ばすのが思っていた何十倍も大変なことを痛感した。

こんな私に、あと、なにができるんだろうか。献血ができる体で髪も伸ばせるのに。今は臓器提供の意思表示くらいしかできていない。身を粉にして働きながら適切な団体に寄付しつつ、献血に打ち勝つ体づくりに励むべきなのか。

2024-01-31 (Web.) 09:00